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パズル・ピース人間関係論

人はいつもいろいろな他人と接している。他人との接触は日常生活を送る上で避けられないものである(ひきこもりでなければ)。これまで生きてきた中で私はどれほどの他人と関係を瞬時的なものであれ生じさせただろうか。おそらく数え切れないほどである。

一概に他人との関係といっても、朝の電車の中で隣になって不快な思いをしたというような非常に短期の瞬時に終了する関係もあれば、幼稚園から大学まで一緒というような長期にわたる関係もある(私は幼稚園から大学まで同じという友人はいないけれど、最近は私立大学が幼稚園から大学院までを全て揃えているのでそういう友人を持つ人もけっこういるのかもしれない)。短期の関係の方に、違和感を覚えられる方もいらっしゃるかもしれないが、これは十分に人間関係の一種であると言えると思う。なぜなら、そこには「イラッとする」などのコミュニケーションの場が無意識的に立ち上がっているからである。長期の関係において顕著だけれど、人はみな性格も考え方も違うため、不可避的に好き嫌いがでてくる。「生理的に受け付けない」というような人だっている。

このような他人に対する好き嫌いの感情はまるでジグソーパズルのピースのようなものだと私は思う。ぴったりはまったとき、そこには落ち着きや歓びがある。そばにいることで安心できたり幸せだったりする場合である。恋愛関係などがこれにあたる。次に似ているけれどぴったりではない場合、人はピース同士を近くまで持って行ってはめてみようとする。しかしどうもはまらない。結局、間違ったピースなのだと判断して離してしまう。これはなんだか少し違和感がある関係やすれ違いの関係、あるいは興味はあったけれど結局合わなかった関係に相当するだろう。この関係は、ピースを外すときに接触部が傷つきやすいように、何らかの摩擦を生み時に両人の間に亀裂をいれてしまうこともある。

また、まったく合わないとき、これは無関心を生むだろう。なぜならまったくコンテクストの合わない関係はピース同士を近づけることがないからである。もしかするとこの関係は見失われてしまうこともある。

私は、人間関係はパズルのピースのようなものだと思う。もちろん、単純に整理してみただけだが、この表現が妙に腑に落ちるので、少し書いてみることにした次第である。悩んだ時などにこのフレームワークが利用できるといいと思う。

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